アントナン・カレームのお菓子まとめ

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ライフスタイル

フランス料理、製菓界の巨匠、アントナン・カレームが考案したとされているお菓子についてまとめました(まだ途中なので随時追記していきます)。

アントナンがゼロから考案したというより「もともとあったものを発展させた・アレンジした・より洗練させた」お菓子が多いようですね。

chiharu
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アントナン・カレームは相当なメモ魔で、学びやヒント、閃きを忘れないうちに書き留める習慣があったそう!

パティシエやシェフとしての才能、技術、センス、情熱もさることながら、「常に学び、取り入れ、言語化して書き記したこと」もアントナン・カレームのすごさだなと感じました。

アントナン・カレームが考案したフランス菓子で、年代の分かっているものはこちらです。

年代アントナン考案の
フランス菓子
18世紀末シャルロット
1810年リ・ア・
ランペラトリス
1814年ムース・グラッセ・
ド・カレーム
1815年バヴァロワーズ・
ド・カレーム
1815年ブラン・マンジェ
1815年スフレ・
ド・カレーム
1815年プティ・フール・
ド・カレーム
1815年ディプロマット
1850年エクレール
1876年ミル・フォイユ
「フランス菓子図鑑」より抜粋

※アントナン・カレームが考案したとされる菓子については諸説あります。

「フランス菓子図鑑」では、19世紀を「カレームの君臨と民衆のためのお菓子」と呼んでおり、まさにカレーム無双だったのだなと感じました。

アントナン・カレームのお菓子:シャルロット

シャルロットは、ビスキュイ・ア・ラ・キュイエール(フィンガービスケット)を型に並べて、その中にムースやババロアを流して冷やし固めたケーキです。

シャルロットの原型はイギリスで考案され、温かい状態で食べるものでしたが、現在のような冷製シャルロットを考案したのはアントナン・カレームです。

シャルロットの
原型
カレームの
シャルロット
バターを塗った食パン
(ブリオッシュ)
フィンガー
ビスケット
果物のコンポート
(りんごか洋梨か
プルーン)
ババロア
オーブンで
長時間加熱
冷やし固める
温かい状態で提供冷たくして提供

さっくり軽い味わいのビスキュイ・ア・ラ・キュイエールを型として使っています。

カレームがイギリス王ジョージ4世に仕えた際、イギリス版シャルロットを知る。そして、パンの代わりにフィンガービスケットを、コンポートの代わりにバヴァロワを使い、加熱するのではなく冷たくして供したのである。

「フランス伝統菓子図鑑」より

シャルロットは元々、ヴィクトリア女王の祖母で、ジョージ3世の妻、シャーロット王妃(ジョージ4世の母)に敬意を表して考案されたお菓子です。

※「シャーロット」は英語読み、フランス語だと「シャルロット」

アントナン・カレームが改良したフランス版シャルロットは「シャルロット・パリジェンヌ(パリ風シャルロット)」と命名されます。

後にロシア皇帝アレクサンドル1世に仕えた際に、「シャルロット・リュス(ロシア風シャルロット)」と改名されました。

アントナン・カレームのお菓子:リ・ア・ランペラトリス

「リ・ア・ランペラトリス」とは皇后風お米のデザートケーキ(「リ」は米、「アンペラトリス」は皇后)。

米と細かい角切りの果物の砂糖漬けが入った、クリーミーなババロアのようなお菓子です。

chiharu
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米を牛乳と砂糖で甘く煮た「ライスプディング」を発展させたようなお菓子でしょうか?

「リ・ア・ランペラトリス」の誕生させた人物については2つの説があります。

  1. アントナン・カレーム
  2. ナポレオン3世の時代に宮廷に仕えていた料理人

ひとつは、アントナン・カレームが、ナポレオン・ボナパルトの妻、ジョセフィーヌに敬意を表すために考案し、1810年、カレームが仕えるタレーラン邸でお披露目されたという説。

もうひとつは、ナポレオン・ボナパルトの甥に当たるナポレオン3世の統治時代(1852-1870年)、彼の妻であるウジェニー・ド・モンティホに敬意を表すために、当時、宮廷に仕えていた料理人が考案したという説だ。

「フランス伝統菓子図鑑」より

時代と世代は違えど、ナポレオンの妻(皇后)に敬意を表すために作られたお菓子なのですね。

アントナン・カレームのお菓子:ムース・グラッセ・ド・カレーム

「ムース・グラッセ・ド・カレーム」とは、カレームの凍らせたムースという意味。

アントナン・カレームは、アイスクリームにコーヒーの風味やフルーツを加えて、見た目も生クリームなどで華麗に飾りつけたものを編み出します。

このデザートは「パルフェ(完璧な)」と呼ばれて、貴族の宴卓を華やかにしました。

フランスにはもともと「パルフェ」というスイーツがあったよ。これはコーヒー味のクリームをもとに作った、アイスクリームだったんだ。

「学研の図鑑ときめきスイーツ」より

フランスのパルフェを元に、日本のパフェは独自に進化を遂げていったので、その礎となったのもアントナン・カレームなのかもしれません。

アントナン・カレームのお菓子:バヴァロワーズ・ド・カレーム

「バヴァロワーズ・ド・カレーム」とは、カレームのババロアという意味(そのまま)。

ババロアは正式には「クレーム・バヴァロワーズ(バイエルンのクリーム)」なので、ドイツ南部のバイエルンから伝わったようです。

すでに存在していたお菓子をアントナン・カレームが発展させた形で、ババロアはシャルロットにも使われています。

1815年に出版されたカレームの著書「パリの宮廷菓子職人」には「フロマージュ・バヴァロワ(バイエルン風チーズ)」として30種類以上のレシピが載っている。その当時「チーズ」は「型に入れて固めたもの」を指していたので、フロマージュ・バヴァロワはチーズにあらず、ゼラチンで固めたスイーツだった。

「フランス伝統菓子図鑑」より
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ババロアだけでも30種類以上のレシピがあるなんて…!

ちなみに、ババロアとムースの違いはこちらです。

  • ババロア:カスタードソースがベース(絶対条件)
  • ムース:泡立てた卵白か生クリーム(もしくは両方)が入っている ※ムース=泡

同じゼラチンで固める冷菓でごっちゃになりますが、ババロアとムースは明確に違うのですね!

アントナン・カレームのお菓子:ブラン・マンジェ

「ブラン・マンジェ」とは、白い食べ物という意味のフランス生まれのスイーツです。

牛乳にアーモンドを入れて香りをつけた後、漉して、ゼラチンと生クリームを加えて冷やし固めたお菓子です。

中世の頃、ブラン・マンジェは「アーモンドパウダーでとろみをつけ、ゼラチン質の多い白身の肉か魚を使った使った甘じょっぱいなめらかなポタージュ」だったそう。

それをデザートに仕立て上げたのは、アントナン・カレームです。

カレームは、1815年に出版した著書「パリの宮廷菓子職人」に、ブラン・マンジェのレシピを載せている。その中で、アーモンドミルクにマラスキーノ酒(さくらんぼのリキュール)、セドラ(レモンの原種)、ヴァニラ、コーヒーなどで香りをつけた応用レシピも提案しているのだ。

「フランス伝統菓子図鑑」より

フランスの伝説のパティシエ、アントナン・カレームがヨーロッパ全土に広めたといわれている。

「学研の図鑑ときめきスイーツ」より

ちなみに混同しがちな「パンナコッタ」はイタリア生まれのミルクプリンで、こちらはアーモンドを使いません。

chiharu
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ババロアもそうですが、味のバリエーションを考える能力がすごいですよね!

1804年頃から、タレーランの厨房で働いていたアントナン・カレーム。

その際に「同じ料理を二度出してはいけない」と命じられていたため、味変あじへんのアレンジやアイディアが鍛えられたのかもしれませんね。

アントナン・カレームのお菓子:スフレ・ド・カレーム

「スフレ・ド・カレーム」とは、カレームのスフレという意味(そのまま)。

スフレは「膨らんだ」という意味で、泡立てた卵白の力でふわふわに膨らんだ焼きたてをいただくお菓子です。

甘いスフレを考案した料理人に関しては2つの説があり、共に同じ時代を生きています。

  1. アントナン・カレーム
  2. ルイ=ウスターシュ・ユード(イギリスで活躍した料理人)

ユードが1813年に出版した「フランス料理」には、デザートとしていただくスフレのレシピが複数、掲載されているという。

「フランス伝統菓子図鑑」より

アントナン・カレームのお菓子:プティ・フール・ド・カレーム

「プティ・フール・ド・カレーム」とは、カレームのプチフールという意味(そのまま)。

  • プティフール・セック(sec=乾いた)焼き菓子
  • プティフール・フレ(frais=生の)生菓子
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「プティフール・セック」は小型の焼き菓子で、贈答品やクッキー缶としてもよく目にしますね。

プティフールとは、一口大の大きさに仕上げたお菓子の総称であり、宮廷料理人アントナン・カレームによれば、オーブンの残り火を使って焼くところから、プティ(petit=小さい)フール(four=かまど)という名称がついたといわれています。

「辻調グループ」コラムより

プティフール・フレ(生菓子)はシュー生地を使った小型のエクレアや、小さなタルトなどが代表的ですね。

フレンチのコース料理のデザートとしても、プティフールが出てきたりします。嬉しい。

アントナン・カレームのお菓子:ディプロマット

「ディプロマット」は「外交官」という意味で、ケーキ生地で作ったパンプディングです。

使用するケーキ生地は、フィンガービスケット、スポンジ生地、ブリオッシュなど。

余り物をアレンジしておいしく食べる、いわゆる「リサイクル菓子」を上品に進化させています。

このスイーツが生まれたのは、歴史的に有名なウィーン会議(1814-1815)においてのことだったという。この会議にフランス代表として出席したのは、アントナン・カレームの雇い主、当時、外務大臣だったタレーランである。

「フランス伝統菓子図鑑」より

ウィーン会議中にタレーランが開催したディナーで、アントナン・カレームの料理が評判になり、各国の有力者たちにその名が知られていきます。

美味しい食事は、相手を知り、かつ良い印象を与え、交渉を有利に進めるカードのひとつ。

そう考える外交官のタレーランにとって、アントナン・カレームは非常に有能なパートナーだったのではないでしょうか。

アントナン・カレームのお菓子:エクレア

エクレアは1850年代頃、美食の街として名高いフランスの都市、リヨンで考案されたと言われています。

エクレアの原型となるものを考案したのが、アントナン・カレームです。

エクレア:有名なフランスのパティシエ、アントナム・カレーナムが作ったといわれている。

「学研の図鑑ときめきスイーツ」より

カレームが作ったその原型は、当時「デュシャス」と呼ばれていた。刻んだアーモンドの上で転がしたシュー生地を、指のように細長く成形して焼き、フォンダンかカラメルをかけたものだったようだ。

「フランス伝統菓子図鑑」より

アントナン・カレームの死後、約20年後に、現在のエクレアに近いものがリヨンで生まれたのでした。

ちなみにシュー生地の原型は、16世紀にイタリアから嫁いだカトリーヌ・ド・メディシス(アンリ2世妃)お抱えの料理人、ポペリーニが持ち込んだとされています。

その後、菓子職人ジャン・アヴィスがシュー生地として完成させたのだとか。

ジャン・アヴィスはアントナン・カレームがバイイの店で働いていたときの師匠です。

1798年頃、カレーム(16歳)はパリでも指折りのパティスリーとして人気を集めていたバイイの店で見習いとして入りました。

アントナン・カレームのお菓子:プロフィットロール

プロフィットロールは、小さなシューにバニラアイスを詰めて、器にいくつも重ねて盛り付け、温かいチョコレートソースをかけていただくスイーツ。

プロフィットロールの前身を考案したのは、アントナン・カレームです。

カレームは師匠であるジャン・アヴィスが完成させたシュー生地にクリーム(カスタードクリームもしくはシャンティ)を詰めることを思いついた。

「フランス伝統菓子図鑑」より

ただ、今でも、誰がクリームの代わりにバニラアイスを詰めて、チョコレートソースをかけたのかは分かっていないそう。

著書や記録として残さなかったり、有名人に起用されなかっただけで、歴史に埋もれた名パティシエは数多くいるのでしょうね。

アントナン・カレームのお菓子:ピエスモンテ

ピエスモンテとはいわゆる工芸菓子で、糸状の飴とアーモンドペーストを使って、建築物や風景を作った大型の装飾菓子のこと。

アントナン・カレームは今までにないピエスモンテを作り、その名を知らしめました。

当時はまだコース料理ではなく、パーティーが始まる前に全ての料理を完成させて、テーブルに豪華に盛り付けておくスタイル。

宴会会場にそびえ立つ、建築を模した巨大なピエスモンテは「これが本当にお菓子なの!?」と招待客の目をひいたのではないでしょうか。

18歳の頃から国立図書館に通うようになったアントナン・カレームは、古代建築の版画図に魅せられ、細部まで観察して書き写し、構造を勉強します。

しばらくしてカーレムは、この時に描いた多くのデッサンをもとに、これまで誰も手がけたことのないピエス・モンテを創りあげるのです。

「お菓子とフランス料理の革命児」より
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「お菓子とフランス料理の革命児」では数々のピエスモンテのイラストが見られますよ!

アントナン・カレームは「建築こそ最初に誕生した芸術である。その建築から派生したのが製菓芸術という分野なのだ」と語っています。

異なる分野を学ぶ勤勉さに加えて、それをお菓子に取り入れた発想の柔軟さも、アントナン・カレームのすごさなのでしょうね。

アントナン・カレームのお菓子:ミルフィーユ

アントナン・カレームが発案したという説がある「ミルフィーユ」。

日本では「ミルフィーユ」と呼ばれていますが、「ミルフォイユ」の方が発音として近いようです。

アントナン・カレームがバイイの店で働いていた当時、タレーラン家の厨房を任されていたブーシェも顧客の一人でした。

17歳の時にはバイイの一番弟子となり、最も難しいパイ生地作りを任されていました。

「お菓子とフランス料理の革命児」より

ブーシェは、アントナン・カレームがフィユタージュ(折り込みパイ生地)を担当するようになってから味が変わったと気付きます。

そのことを聞かれたバイイは、ブーシェにアントナン・カレームを紹介したのでした。

chiharu
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図書館通いを認めてくれたり、実力を認めて抜擢したり、得意先に紹介したり…バイイもすごくいい人!!

「バイイは親切だったし、図書館の中の版画室へデッサンに行けるよう取り計らってくれたことを、生涯忘れない」と、のちの著作の中でもアントナン・カレームは語っています。

ミルフィーユの起源については、専門家でも意見が分かれています。

  1. アントナン・カレーム
  2. ルージェ(1800年頃の菓子職人)
  3. アドルフ・スニョン

ミルフィーユは有名なフランスのパティシエ、アントナム・カレーナムが作ったといわれている。

「学研の図鑑ときめきスイーツ」より

現在の形に近いものに仕上げたのは、1867年、パリのバック通りにあった店の菓子職人アドルフ・スニョンだという説は信憑性が高いようだ。

「フランス伝統菓子図鑑」より

苺を挟んだミルフィーユは「ナポレオン・パイ」という名前でも親しまれています。

これはナポレオン皇帝の帽子に形が似ていることや、数あるお菓子の中の「皇帝」を意味して名付けられたそう。

ですが、アントナン・カレームは、ナポレオン治世の時代に生き、タレーラン(ナポレオン権力化においても外務大臣として活躍)に重用されていたので、そこも少し関係あるのかな?なんて思ったりします。

折り込みパイ生地を現在の形にしたのはアントナン・カレーム

折り込みパイ生地を考案した人物で有力なのは、次の2名。

  1. クロード・ロラン(17世紀の有名な画家)
  2. フイエ(18世紀の菓子職人)

17世紀に出版された「フランスの菓子職人」(ラ・ヴァレンス著)には折り込みパイ生地のレシピが記されています。

19世紀に入り、アントナン・カレームが生地にバターを何層にも折り込む、現在の折り込みパイ生地を完成させたようです。

アントナン・カレームのお菓子:ヴォル・オ・ヴァン

1803年(19歳)、アントナン・カレームは独立して自らのパティスリーを開くと、「風に乗って飛んでいく」ほど軽く膨らんだパイ菓子、ヴォル・オ・ヴァンを考案しています。

「ヴォル vol」は飛ぶ、「ヴァン vent」は風、という意味で、フィユタージュ(折り込みパイ生地)で器を作り、中身を詰めたお菓子です。

いわばタルトのパイ生地verで、現代ではカスタードクリームやフレッシュフルーツを入れることが多いですね。

chiharu
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アントナン・カレームも新しいフィユタージュ完成のためにすさまじい努力と研究を重ねています…!

研究熱心なカーレムは、フェイタージュをもっと薄いものに改良できないかと、オーブンでの焼き方を色々調整しています。それこそ、生地を練るという基本の作業にも新しい工夫を加え、何十回、何百回と繰り返していきます。納得のできる美味しさが完成するまで、睡眠時間を削りながらーー

「お菓子とフランス料理の革命児」より

ヴォル・オ・ヴァンはフランス料理としても代表的なメニューのひとつにもなっており、中には煮込み料理をいれます。

アントナン・カレームのお菓子:りんごのフラン

アントナン・カレームが考案したとされる「りんごのフラン」。

フランは練り込みパイ生地か、折り込みパイ生地にとろみの強い濃いカスタードを流し入れて焼いたお菓子です。

chiharu
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現代でもカスタード&りんごの組み合わせは鉄板…!

フランそのものは以前から存在しており、アントナン・カレームが「りんごのフラン」として進化、発展させたお菓子となっています。

中世(13世紀)になり、甘くしたフランが登場する。最初は、王侯貴族の食卓で供されたシックで豪華なデザートだったとか。

「フランス伝統菓子図鑑」より

構成としてはイギリスの「カスタードタルト」や、ポルトガル発祥の「エッグタルト」にも近いお菓子ですね。

アントナン・カレームのお菓子:クレーム・フリット

「クレーム・フリット」もアントナン・カレームが考案したお菓子です。

chiharu
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パティシエの千葉好男さんも、アントナン・カレームの発想には何度も驚かされたのだそう!

クレーム・パティシエール(カスタードクリーム)を冷やし固めたものを油で揚げたユニークなお菓子です。

「お菓子とフランス料理の革命児」より

アントナン・カレームのお菓子:マロングラッセ

マロングラッセは、しっとり柔らかな栗の表面に、サクッとした砂糖をコーティングしたお菓子です。

「マロン」は栗、「グラッセ」は砂糖衣をつける製法のこと。

フランスの伝説のパティシエ、アントナム・カレーナムが作ったとされる。当時あまり高価な食べものではなかった栗を使い、手間をかけてマロングラッセにしたんだ。

「学研の図鑑ときめきスイーツ」より

マロングラッセも、16世紀にフランス(リヨン)、またはイタリア(クーネオ)で誕生したという説もあります。

アントナン・カレーム発祥ではないかもしれませんが、彼が魅力を多くの人に広めたお菓子のひとつなのではないでしょうか。

マロングラッセを作るときにできた、こわれた栗からマロンペーストが作られて、そこからモンブランが生まれたそうですよ。

アントナン・カレームの功績:しぼり袋の改良

しぼり袋を改良したのも、アントナン・カレームだと言われています。

しぼり袋は1805年、ボルドーのパティシエ、ロルサという人物が紙を三角形に折って、その中にクリームを入れ絞り出したのがはじまりと言われています。これに改良を加え、口金をつけて装飾性を高め使いやすくしたのが、カーレムと伝えられています。

「お菓子とフランス料理の革命児」より

アントナン・カレームはチョコレート菓子は作っていない?

フランスにはオペラ、タルト・オ・ショコラ、ムース・オ・ショコラなど、チョコレートを使ったお菓子が数多く存在します。

アントナン・カレームはエクレアの原型を考案していますが、現在のようにチョコレートではなく、フォンダンかカラメルをかけています。

chiharu
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アントナン・カレームはチョコレート菓子には関わってないのかな?

まずはそもそも「アントナン・カレームが生きた時代に、チョコレートは存在していたのか?」という点から。

チョコレートの歴史をざっくりかいつまむと、このような流れとなります。

400年アステカ、マヤ時代
カカオ豆は通貨
1502年コロンブスが
カカオに出会う
1521年以降チョコレートが甘くなる
(甘みは蜂蜜→徐々に砂糖へ)
1600年代スペインからヨーロッパに広まる
1828年チョコレートの4大発明①
オランダでカカオパウダー誕生
1847年チョコレートの4大発明②
イギリスで「食べる」
チョコレート誕生
1850年パリで偶然ガナッシュが
生まれる
1867年チョコレートの4大発明③
スイスでミルクチョコレート誕生
1879年チョコレートの4大発明④
スイスでなめらかな口溶けに
GODIVA「チョコレートの文化と歴史」より(一部抜粋)

1719年、チョコレートケーキが初めて文献に登場。コンラッド・ハッガーが料理手帳に「チョコレートトルテ」を残しています。

1774年、ベルギーのムノンの著作に「ビスキュイ・ド・ショコラ・ド・ムノン(ムノンのチョコレートケーキ」が紹介されています。

1832年、オーストリアのウイーンで、フランツ・ザッハー「ザッハトルテ」を誕生させます。

のちに、ルイ16世が使用人シャルル・ファジに、チョコレートを使ったレシピを考案するように命じ、彼が作ったのが現在のムース・オ・ショコラに近いものだったという。

「フランス伝統菓子図鑑」より

ルイ16世の生没年は1754〜1793年、この時代にフランス王宮ではチョコレートがあったということですよね。

アントナン・カレームの生没年は、1784〜1833年なので、チョコレートが劇的に進化して広まる、ちょうどはざまの時代。

アントナン・カレームがもう数十年遅く誕生していれば、とも思いますが、そうするとタレーランに見出されることもなかったはず。

ナポレオンが最も華々しい活躍をした時代に、カーレムはタレイランに才能を見いだされ、一人の料理人としてナポレオンの治世に華を飾ります。カーレムがあと10年遅れて生まれていたら、その人生は大きく変わっていたと言ってもいいでしょう。

「お菓子とフランス料理の革命児」より

アントナン・カレームの躍進は、当時の世界情勢とは切っても切れないのですよね。

見落としもあるかもしれないので、アントナン・カレームがチョコレートのお菓子と関わっていないか、引き続き調べていきます!

アントナン・カレームのお菓子まとめ参考文献

アントナン・カレームは「シェフの王」とも呼ばれ、フランス料理・菓子の礎を築いた巨匠の一人です。

  • 以前から存在していた料理、お菓子をもとに改良
  • 先輩、偉大なシェフからも技術を吸収
  • 膨大な量のアレンジ(味変)を考案
  • 体系立てて著書にまとめた
chiharu
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アントナン・カレーム発祥でなくても「彼が紹介しているから、彼が考案したのでは?」とされているものも多そうですね。

最初の著書「パリの宮廷菓子職人」(1815年出版)では、彼自身が改良を加えた、あるいは創作したお菓子やデザートのレシピがふんだんに紹介されています。

レシピのなかには、マドレーヌやババロア、アイスクリーム、ブラマンジェ、クレーム・シャンティなど、日本でも馴染みのお菓子も少なくありません。

「お菓子とフランス料理の革命児」より

アントナン・カレームのお菓子をまとめるにあたり、参考にさせていただいた本をご紹介します。

フランス伝統菓子図鑑 お菓子の由来と作り方

まずは「フランス伝統菓子図鑑 お菓子の由来と作り方:定番菓子から地方菓子まで132種を網羅した決定版」山本ゆりこさん著。

素人の私がアントナン・カレームの考案したお菓子を調べるにあたり、フランス伝統菓子図鑑には大変お世話になりました。

chiharu
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何より、フランス伝統菓子の写真がどれも美しい&美味しそう…!

レシピと材料を見て、こんな味なのかなあと妄想するだけでも幸せ。ああ、オーボンヴュータンに行きたい・・・

お菓子とフランス料理の革命児

「お菓子とフランス料理の革命児:ぼくが伝えたいアントナン・カーレムの心」フランス料理アカデミー会員で、パティシエでもある千葉好男さんの著書です。

アントナン・カレームの生涯や、彼を取り巻く人々や時代を詳しく知るには最適の1冊。

chiharu
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とはいえ専門書のような堅苦しさや小難しさはなく、親しみやすい語り口でとても読みやすかったです!

カーレムの本を見ると数多くのプディング、ババロア、フルーツゼリー、スーフレ、シャルロットなどが掲載されています。その膨大なレシピの数そのものが、カーレムがこれまでのお菓子をさらに発展させ、より美味しいものを作ろうと挑んだ軌跡のように思えてなりません。

「お菓子とフランス料理の革命児」より

自身もパティシエである千葉好男さんの、実感のこもった賞賛が心に残りました・・・!

コミック版世界の伝記 アントナン・カレーム

アントナン・カレームの生涯をざっくり、分かりやすく知るなら「コミック版世界の伝記:アントナン・カレーム」

絵のデッサン力が高くキレイだし、キャラクターデザインも秀逸。登場人物たちも生き生きと描かれています。

chiharu
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タレーランのしたたかでクセ者感ある描かれ方が大好きです!

当時の情勢や、バイイ、ブーシェ、タレーラン、ラギピエールなど、アントナンに関わった人物や、彼に与えた影響を理解するのに役立ちました。

学研の図鑑LIVE for ガールズ ときめきスイーツ

最初にアントナン・カレームの名前を知り、興味を持ったのは、学研の「スイーツ図鑑」がきっかけでした。

世界各国の様々なスイーツを、シンプルかつ分かりやすく知るにはうってつけの一冊。

chiharu
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子ども向けの図鑑だからと侮れない…!

どんな分野でも、概要をざっくり理解するには、子ども向けの本がオススメです。最強に分かりやすく書かれているので。

まずアウトラインを概ねとらえてから、大人の本に移行するとぐんぐん理解できますよ。

最後に、少しでも「スイーツの発展や歴史、おもしろい!」と思ってもらえたら、嬉しく思います。

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